どうも僕です。えりんぎです。
僕の心臓が止まる前からうちの犬、もとい大切な家族の一員が心臓の病気なのは全員知ってました。
彼を病院に連れて行った次の日に僕の心臓が止まったんですから。
しばらくあんなに元気だったのに、最近になってかなりしんどそうになってしまってました。
でもなんとなく漠然と「薬このまま飲み続ければまたどっか一緒に旅行行ったり走り回ったりできるんだ」って思ってました。甘かったです。今考えると自分に殺意が沸くくらいアホで楽観的過ぎたと思います。
結論から言うと9月3日に一人っ子の僕に突然現れたきょうだいにして友にして最愛の家族の一員、ゴールデンレトリバーのべぇちゃんは家族全員に看取られながら逝きました。七歳と六か月。あまりに早かったです。
Twitterとかで何となく知ってたって人もいるかもしれませんね。
なんか書きたいことがありすぎて詰まって出てこないですね。
いろいろ落ち着くまでここに書くのはやめようと思って、今日いざ書こうと思うとやっぱり全然書くことが出てこないもんですね。もういつに増して文章がめちゃくちゃになるのをあらかじめ予告しておきます!
こんなことが来るのは、まだまだ先だと思ってました。
ずっとゼコゼコ苦しそうな呼吸をする日がしばらく続いていて、食も細って体重は五キロ以上も減っていました。触るだけであぁ・・・痩せたなぁって思えるほどでした。
ついぞ散歩も行けないままでした。
夜、ゼコゼコ音が聞こえなくなり、風呂入ってた僕も緊急で呼び出されて、呼び出された時にはもうかなりやばそうな感じでした。でも僕らが名前呼ぶとちゃんと返事しようとするんですよね。
それが辛くて辛くて、10年ぶりくらいにワンワン大声出して泣きました。
数日間はずっと何かにつけては大声で泣いてました。
ただ、夏休み中で僕がいたこと、最期は家族全員に見守られながら、かつ自分の家で逝けたのは不幸中の幸いなのではないかと思うのは身勝手でしょうか。
ほんとに聞き分けのいい賢い犬でした。
しつけに困った覚えは一切ないし、お手、おかわり、お座り、マテ、フセ全部あっという間に覚えました。教えた時の記憶がないくらいにはあっという間でした。
日本語をちゃんと聞こうとして、一部ちゃんと日本語を理解しているような素振りもありました。
こと切れてからしばらく経つと鼻からすごい量の血が出てくるんですよね。
獣医さん曰く血管が切れて肺に流れてたとのことなんですけど、なんだかそれがこの子の最期のしんどさというか、辛さを物語っているようで不憫でなりませんでした。
翌日の夕方まで流血が止まらなかったんですから。
翌日の夕方に火葬場へ連れていくまで、家にはいたんですけどその姿がもう寝てるようにしか見えなくて、寝息が聞こえないのも、呼吸でおなかが上下してないのも、近づいてもしっぽを振らないのも、呼びかけに答えないのも全部今までだったらあり得ない出来事すぎて脳みそが完全に混乱しているのがわかりました。
だって聞こえるはずのない寝息が聞こえたり動くはずのないおなかとしっぽが動いてるように見えたり、答えるはずのない呼びかけに答えたかのように思えたりとしたんです。
めちゃくちゃでした。
数日たった今でも、物音が聞こえればべぇが発した音に聞こえるし、いつもべぇがいた場所には彼の雰囲気を感じます。
ご飯食べた後いっつも僕が「ごちそうさま」と言うとすぐに「お、散歩か?」と嬉しそうにこっちを見てきた日常も、外についてる水道の蛇口から直接水をがぶ飲みしていた習慣も、全部一気になくなってしまいました。
彼が美容院に行っていてただの半日いないだけでなんだかつまんなくてテンション下がっていたのに、これから僕はいったいどうすればいいんでしょうかね。
こんだけ書いておいてアレなんですけど、たぶん僕どこかまだ実感沸いてないんだと思います。
いつも彼がいた場所に無意識に目をやって、彼を探して、彼がいないことに気づいて、それからこのことを思い出す、テンポが悪いんです。
前述したようにずっとしんどい日が続いたので、ついぞ散歩にも行けず、ご飯も食べれず、そして何より、いっつもみたいに尻尾を振って笑いながら僕の体のいたるところを舐めてくれることはないまま逝っちゃいました。
僕が心臓が急停止するという死の淵から、三週間の入院を経てもう一度普通の生活を奇跡的に取り戻せたのは、こんなことを体験するためじゃなかったんだ
これじゃあ生き返ったところで、一体何の意味があるっていうんだよ